プレイしていないゲームの話をしよう:SIREN

PS2用ソフトとして発売されたホラーゲーム・SIRENの生誕15周年を記念して、SIREN展の開催が予定されているそうですね。
こちらのSIREN、ワタシは未プレイです。PS2は持っていたのですけれど、当時はあまりゲームに興味がなくてですねえ・・・。

恥ずかしながら、ゲーム実況動画で拝見しました。
未プレイのゲームのお話をすることに心苦しさはありますが、ワタシの知る限り最も恐いホラーゲームの1つではないかと震えています。

ゲーム実況動画って、実際にプレイするのと違って、1歩引いて見ることになるので、恐怖心をあおったタイトルでも冷静に見ることになるのですよ。
なので、ゲーム実況動画で見たホラーゲームであまり恐いと感じたことはないのですけれど、数少ない例外がSIRENです。

同シリーズにはSIREN、SIREN2。そして、SIRENを再構成したSIREN:New Translationの3作が存在するのですが、中でも元祖SIRENが最もワタシの恐怖心を刺激します。
シリーズの中でも圧倒的に戦う手段が乏しいのが元祖SIRENなのですよ。逃げるor隠れることしかできない恐怖や心細さは、多少なりともゲームをかじってきた者なら想像に難くありません。

ゲームの流れとして、複数のプレイアブルキャラクターを代わる代わる操作して、ステージ毎に設けられた達成条件をクリアしていきます。
対するのは屍人(しびと)と呼ばれる、他のゲームで言うところのゾンビのような存在です。

この屍人が超恐い。元は人間で、いくら攻撃しても瞬く間に再生して襲ってくるという点は、ホラー作品によくある要素ながら、屍人ならではの特徴として、体内に赤い水を吸収する代わりに、自身の血液を涙のように流し続け、肌の色も不健康そうに変化していきます。この状態を半屍人と呼びます。

症状が進行すると形状が大きく変わり、クリーチャーじみた姿に変化するのですが、パッと見は人間の姿でありながら、明らかに正常ではないと分かる半屍人の方が、ワタシはずっと恐怖を感じます。
ワタシがSIRENに殊更恐怖を感じる大きな理由は、異形のバケモノやクリーチャーではなく、限りなく人間に近い別のなにかを相手にしているところです。シリーズ3作品の中でも元祖SIRENはその傾向が強いと言えます。

更に大きな特徴として、
・生前の習慣を模倣する
・ある程度の人間的な感情を持っている
・武器、道具を使用する
・屍人自身には世界が幻想的に見える
などがあります。

屍人となった後も一家団欒を始め、砂嵐が映るテレビを見ながら爆笑したり、言葉も発する。血の涙を流しながら。
襲い掛かってくる理由も、こんな魅力的な世界を共有したいという一心からだそうです。あなたも死んでこちら側に来なさいよ、と善意から熱烈な勧誘をしているわけですね。
屍人の言動は滑稽にも見えてしまうのですけれど、それ以上に物悲しく感じてしまいます。

そして先述したゲームシステムで、プレイアブルキャラが複数いると申し上げました。
この人たちも残念ながら犠牲者となってしまうのですよ。本作での死亡、すなわち屍人化です。これが決定的に胸を突きます。

つまりついさっきまで自分が必死になって動かしていたキャラが、変わり果てた姿となって襲ってきたりするわけです。
かつて共に戦った同胞と敵対しなければならない悲しみに加え、生前の元気な姿もよく知っていることもあって、救えなかった無念さも滲みます。

このように恐怖と物悲しさを併せ持ち、時に笑いを誘い、名もなき犠牲者でさえも、そのバックボーンが見えるホラーゲームなのですね。
加えてストーリーに救いがなくてですねえ。なんせ当時のキャッチコピーが「どうあがいても、絶望。」ですからね。シリーズ3作品の中でも特に救いがないような気がします。

他にも、視界ジャックという独特なシステム、見るからに頭を抱えそうな難易度、直接的な説明は避け、部分的に見せることによってユーザーの想像に任せた構成など、今尚、熱狂的なファンが作中の出来事になぞらえて、記念日を毎年のように祝っているのも納得の1本です。

ディレクターを務められたのは外山圭一郎さんという方なのですが、他に担当した作品にサイレントヒルがあるのはよく分かるとしても、近年ではGRAVITY DAZEも含まれているのが目を疑います。
GRAVITY DAZEはSIRENとは打って変わって、希望に満ち溢れた作品ですよ。

聞くところによると、外山さんは新作(完全新規タイトルか、なんらかの続編かなど、一切不明)を仕込んでいる真っ最中とのことなので、たいへん楽しみです。